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■1998年 12月10日(木) 衝撃・・・。
それは12月の初め・・・三河3馬鹿トリオOFFと題うって、 ネットで知り合ったR師匠・がちゃ兄・自分の3名で、平日OFF開催中に起きました・・・。
地元のレストランと駐車場を使って、しばらく駄弁った後、 余った時間をどうするか・・・?と言う事になり、 近場のゲームセンターに入るか、R師匠のホームコースに行くかと言う事になりました。
そこで、自分の希望をふまえてもらって、R師匠のホームコースに行く事になり、 途中、先行するR師匠とがちゃ兄に振り切られそうになりながらも、 なんとか目的地に到着しました。
そこは少しバンクのかかった広めのコーナーで、それらしいエスケープゾーンやギャラリーエリアもあり、 R師匠も曰くように、ドリフトを練習するにはなかなかの場所で、 時折それらしい車の通りもありました。
でも今回は夜もまだ浅く、車通りもちょこちょこあったので、 軽く下見程度で引き上げる事にするつもりでした・・・が、 ここで悪い事に、自分の「Fドリ願望」がグツグツと噴き上がってきてしまったのです。
今思えば、これが全ての原因でした、 後は初めてのコースの上に、今まで経験した事の無い昇りによる、 フィーリングのズレから来るオーバースピード・・・くわえて、 夜の為に遮られる視界・・・・と条件は揃ってました(苦笑)
そんなわけで、R師匠に指定されたポジションよりもかなり手前でサイドを引いて、 横を向いてすっ飛んでいったMyインテは、 コーナーの入り口で橋桁とディープインパクト・・・・・気が付いた時には、 Myインテは運転席側のドアが開かない、弱「く」の字型の車になっていました・・・・・。

反対側から見たら、いつも通りのMyインテ。

ちなみに後ろから見ても、いつも通り。

でも、現実はこっち・・・。

■1998年 12月11日(金) 失意・・・。
昨夜の出来事によりMyインテをほぼ廃車の状態にしてしまった自分は、 本人も気付かないレベルで精神的なショックを大分受けていたらしく、 一気に体調を崩してしまい、38.5度ほどの熱を抱えながら、 週末の金曜日を乗り越えなければなりませんでした。
もっとも、自分の未熟な運転で愛車をあんな風にしてしまったのですから、 当然の報いとも言え、そう考えると更に気持ちが憂鬱になる悪循環が今も続いています。
今日からしばらくの間、 この憂鬱の悪循環と車庫に停めてあるMyインテの姿に苦しめられるのは、 天罰だと思って我慢するしかないようです・・・・・。

■1998年 12月12日(土) 捜索・・・。
重い体を動かしてなんとか金曜を乗り越え、ようやく休日がやってきました。
この休日を使って、自分はMyインテに代わるNewマシンを探す事にしました。
昨日から続くマイナス思考の循環を止めるには、 やはり新しい「愛車」と呼べる車を見つける事しかないと言うのが、 先代のレビンを失った事から得た知恵です・・・・・とても滑稽で皮肉な事ですね(苦笑)
さて、そんな訳ですから、前回のインテ購入の時にも世話になった、 例の「サイノス」オーナーのツレに事情を話して、車を出してもらう事にしました。
もちろん、その事情を聞いてツレが自分に対して最高級の皮肉をプレゼントをくれたのは、 言うまでもありませんが・・・(苦笑)
Newマシンを何にするか・・・?何処で買うか・・・?
その日一日を使って、近場の車屋さんを数件回りながら考えましたが、 なかなかコレと言う結論には行き当たれませんでした。
何よりもその原因となっていたのは、言うまでもなく予算です。
年の暮れでボーナスらしきものも支給されるので、 確かにお金が無いとは言えませんが、 それでもおいそれと車を買えるほどの大金を持ちあわせている訳ではありません。
更に自分は「ローン」と言うものに対して抵抗がるため、 結論として、現在一括支払可能な現金30万円前後・・・それが予算の見積りでした。
自分で言うのもなんですが、一般常識的にこの条件から希望のスペックの車を探すのは、 ほぼ無理と言うものです。
結局、今日はこれと言ったものを見つける事が出来ず、 前々から目を付けていたカーショップの「R−1」に自分の条件に見合った車を 探してもらうように依頼して、捜索を打ち切りました。

■1998年 12月19日(土) 確定・・・。
今日は車探しの現状を聞きに行くついでに、 半損のMyインテを「R−1」の担当のお兄さんに見せてきました。
フレームまで破損しているので、修理には大体50〜60万かかるとの事、 元手が30万の車なので、この時点で廃車は確定・・・・・予測は付いていた事でしたが、 流石にショックでしたね。

■1998年 12月20日(土) 決意・・・。
Myインテの廃車が確定してしまったので、 あらためてNewマシンの事を考えなければならなくなりました。
世の中には数多くの種類の車が存在していて、 「VTEC」や「HONDA」が好きだと限定しても、「CR-X」や「シビック」と言った素晴らしい車が、 確かに自分の希望のラインにもいくらか見え隠れします。
けれども、世界で始めて「VTEC」と言う名の心臓をその身に宿した車、 「DA6」の型式で呼ばれるインテグラは、 それらを凌駕するほど自分の中では強い存在となっていたようです。
そう言う訳ですから、次も「DA6インテグラXsi」しかないでしょう!

■1998年 12月26日(土) 出会・・・。
一通の電話が、自分の携帯に入りました。
「ようやく納得のいきそうなインテグラが手に入ったから、一度見においで。」
どうやら「R−1」に依頼していたインテが、 ついにオークションで見つかったようです。
話しによるとそのインテは、カラーは黒で年式は平成3年、車検が1年以上、 もちろんマニュアルで社外のリアスピーカーと純正オーディオ、更にエアロまで組んであるらしいのです。
そんな訳で、話しを聞いて居ても立ってもいられなくなったため、 早速今日、半損のMyインテに鞭打って、他車の注目を集めながら「R−1」へ行ってきました(苦笑)
で・実際にみた黒インテなのですが、多少気にかかる部分はあるものの、 確かに話しに聞いたとおりエアロやオーディオ装備で、 更に年式も3年と言う事で、Myインテに比べて各部の立付もしっかりしていて、かなりの上物でした。
ただ、ここに来て一つだけどうしても重大な問題がありました。
それは「お値段おいくら・・・?」です(汗)
これだけ程度の良いDA6インテグラXsiとなると、市場の相場は車両価格のみでも軽く見積もって40万前後、 自分の予算が諸費用込みで30万前後なのですから、ちょっとばかり?財布の中身が足りません。
かと言ってこれだけの上物インテを前に、引き下がる訳にも行かないので、 一通り黒インテをチェックし終わったあと、担当のお兄さんとお値段交渉に入りました。
で・・・交渉の結果、 と言うより半分以上担当のお兄さんのお気遣いで、 なんとその黒インテは総額(諸費用も込み)で、33万円という破格の値段を付けて頂きました。
ありがとう「R−1」!最高だよオートガレージ!感謝感激サンキューお兄さん!
そういう訳で、 せっかくのお気遣いにあやかって、この黒インテ・・・次期Newマシーンとして、本日購入を決定しました!!

■1998年 12月29日(水) 再起・・・。
さて、購入を決定したNewインテですが、 この年の瀬の言う事もあって、非常にドタバタしました。
何よりもまず、「R−1」が29日からお休みに入り、 1月の4日まで開店しないということで、 この29日までにとりあえず車だけは引き取っておかないと、 大晦日から正月三箇日にかけて、 車のない生活をしなければならなくなってしまうのです。
とは言え、この年末なのですから、 当然お役所様がお仕事をされらっしゃる訳がありません。
ですが、幸い何とか委任状用の印鑑証明だけは手に入れられたので、 それらの書類と、現金33万を「R−1」の担当のお兄さんに渡して、 半ば無理矢理ですが、とうとう今日Newインテを引き取ってきました。
ちなみにこの次期なので、当然のごとく陸運事務所も機能していません。
おかげで手に入れたNewインテは、 愛知県民なのになぜか石川県ナンバー・・・・・まぁ、この辺はご愛敬と言う事で、 訂正は年明けですね(苦笑)

さて、早速Newインテのインプレッションなのですが、さすが3年式と言う事だけあって、 旧インテとは各部の状態が格段に違いまね。
ドアの立付も、旧インテではキーキーと泣いてとても重かったのですが、 Newインテでは心地よい音を立てて奇麗に閉まります。
パワステなどもちゃんと効いていて、ミッションの入りもまずまずです。
ただ、旧インテにはショートストロークやステアリング、 ペダルカバーなどのパーツを取り付けていたので、 そういった部分がノーマルのNewインテには、 操作系で多少の違和感を覚えました。
もう一つ文句を言うならば、 オートアンテナが途中で曲がってつっかえているらしく、 オーディオの電源を入れるたびに、 頭数センチしか伸びずにカタカタと騒がしい音を立てることぐらいです。
でも、このアンテナに関しては、後日どうにでも修理が効きそうなので、 それほど問題でもありませんね。

そういう訳で、とりあえず今日一日Newインテに乗ってみての感想なのですが、 仮に旧インテにエアロを組んで各部の立付などの整備調整をし、 このNewインテのレベルまで仕上げようとしたならば、 おそらく30万近くのお金がかかったでしょう。
そういった事を考えるとこのNewインテの購入は、 はなかなか買物だったのでは・・・と思いました。
でもまぁ、車なんて長く乗れば乗るほどボロが出てくるものなので、 悠長な事も言ってられませんが、 泣いても笑っても、 自分の新しいパートナーとしてこのNewインテを選んだ訳ですから、 これから末永く仲良くやっていける事を心から願いたいです。

追記:
この日を持って任意保険の移転に伴い、実質的にワインレッドのMyインテは別離、 黒のインテがMyインテとなりました。
ワインレッドのインテ・旧インテとは10ヶ月という間、 非常に世話になり、色々な思い出を与えてくれました。
普通ならば、一度乗った車と全く同じ車種を購入すると言う事は、 あまり考え付きませんが、そういった事をさせてしまうほど、 旧インテは自分にとって素晴らしい車でした。
今回は自分の不注意でこんなかたちでの別れとなり、 本当に何度謝っても申し訳が立ちませんが、 この場を持ってあらためて、旧インテに謝辞と感謝の念を表したいとおもいます。


■1998年 01月 委任・・・。
新・旧インテのツーショット・・・。全く同じ時間に、全く同じ2台の車を持つた瞬間・・・。
人生長くやってても、そうそうはない事だろうなぁ・・・・(苦笑)
さて、Newインテは手に入りましたが、 本当の意味での復活には、まだまだやらなければならないことがありました。
「Dybe-R」プロジェクトで記されてるように、 旧インテにはいくつかの社外パーツが装着されていて、 それらを完全にNewインテに移植しなければならないのです。
以下はそれらに関するレポートを、段階を追って作成したものです。


12/26:
Razoの皮製シフトノブや、カップホルダー等、簡易なパーツを旧インテからNewインテへ移転。
タワーバー・プラグコード・プラグカバー・ラジエータキャップ等を移植

01/04:
フロントタワーバー・プラグコード・ペダルカバー等を旧インテより取り外し。

01/05:
旧インテより取り外したフロントタワーバー・プラグコード・ペダルカバー等をNewインテへ装着。
01/24:
最大の難関であるショートストロークシフトを、「R−1」のガレージを拝借して、 がちゃ御代官様のご協力のもと旧インテからの取り外し完了、 同時にステアリングと旧インテに装着してあるアルミホイールのうち、 タイヤが健在の2本をNewインテの後輪に移動。
がちゃ御代官様には、日曜日と言うのに夜10時までお付き合いいただき、 本当にありがとう御座いました。

01/29:
3日前にメールで知り合った、同じインテ乗りの高橋さんにご協力いただき、 先週に引き続き「R−1」のガレージを拝借して、 ついにNewインテへのショートストロークシフトの装着完了。
高橋さん、1位時間以上もかけて遠い所から駆けつけて頂き、 本当にありがとう御座いました。

フロント周りを取り外されて、もはや直視することすら心痛い姿となった、旧インテ(泣)
02/07:
ネット上の掲示板からの問い合わせで、 譲与希望のあったクリアーウインカーとサイドバイザーを、旧インテより取り外し、 同時に余った2本のスパルコのアルミホイールもNewインテへ移動。
この際、手持ちの工具が標準の車載の物しかなく、 更に移動したタイヤがパンクしていることが判明した為、 作業はかなり難航した。

02/11:
建国記念の日と言うことで、お休みを利用して前回パンクしていたスパルコホイールを取り外し、 家に保管してあったVOLKの14インチホイールを応急で装着。

02/20:
前々から動きが怪しかったNewインテのドアミラーを修理する為、 スクラップ置き場に移された旧インテよりそのパーツと、 余った時間を使って、オーディオ類等のパーツもまとめて回収した。

02/21:
先日回収したパーツをNewインテへ移植、電動ミラーの修理とフロントスピーカーの交換は完了したものの、 オーディオユニットが壊れてしまっていたため、作業はこれで中断となった。

02/28:
本来ならこの日、旧インテと本当のお別れをすることになっていたのだが、 車屋さんの手違いで、数日前に然るべき場所へ運ばれていったらしい。
最後の最後があやふやで、心残りな別れ方となってしまって、 本当に残念だが、改めて旧インテに対して色々な意味で敬意を表したいと思った。


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