■1997年 10月10日 全ての終わり・・・
それは忘れもしない、まだ夏の暑が残る10月10日、午後11時30分の出来事でした。
自分はその日の翌日、2人の知人とツーリングもどきの車の見せ合あっこをする約束をしていたので、
その下見のために、集合場所に指定されていた愛知県刈谷市の某ホームセンターを探して夜道を
走っていました。
当時の自分は一月前、正確には97年9月17日に免許を習得し、その後の10月4日に貯め込んだお金を
一気に叩いて、初めての愛車「AE92 レビン」を手に入れたばかりで、免許取りたて、車持ちたての
その時の自分は(解る人には、解ってもらえると思いますが)、何よりも第一に車に乗りたい!
運転したい!と言う衝動と欲求の固まりでした。
そのため、自分は周囲が心配するのもお構い無しに、毎夜のように車に乗って地方周辺を徘徊してい
たいたのですが、そんな自分に神様はあまりにも酷な罰を与えられたのです。
そこはちょうど、刈谷市と大府市を分ける橋を東側に降りて初めの交差点で、自分は目的のホーム
センターを通り過ぎてしまった事に気づき、Uターンして戻ろうと橋を下っている最中でした。
直進する道路の先には青色に光る進路指定の標識、「あれ?この道、左折しかできないじゃん。」と、
自分はそこで右にウインカーを出して、進路変更をしようとしました。
「・・・・・・・・!!!?」
正に一瞬、目の前に何か大きな壁のような物が突然現れ、急ブレーキを踏んだと思った時には、もう全
てが終わっていました。
ショックで飛んでいた意識が回復して、悪夢から覚めたような感じで目を開けると、そこには現実の
悪夢があったんです。
四方に飛び散った、何ともつかない色々なパーツの残骸。
本来のリズムの倍近いスピードで動くウィンカーの音。
その場を眩しく照らす、ライトの明かり。
激しく鳴り響くホーン。
ゴムが焼ける嫌な匂い。
そう、自分がその時から不幸のどん底に落ちていく事は、それらを見ただけで、たとえ予言者でなくても容易に想像できるものでした。
■1997年 ハートブレイク事故紹介・・・・。
上の記事を読んだ時点で、感のいい人はお気づきになったと思いますが、率直に言って免許とって1月、車買ってわずか6日で事故りました。
鈍感な自分も、この時はさすがにショックで、立ち直るのに3ヶ月以上かかりました。
で・上では肝心の事故については詳しく記してないので、こっちでその調書を補足します。
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日時:平成9年 10月10日 午後11時30分
場所:刈谷市中手町
内容:
Aの車両の運転手が、帰宅のため大府方面から刈谷方面へ向かい時速60kmで走行中、図の交差点で@の方向指示標識に
気を取られ、Aの信号を見落としたため、Bの信号が青となったと同時に発進したBの車両とCにて衝突。
Aの運転手はBの車両と距離5メートルに接近した際、はじめてその存在に気づき急ブレーキを踏んだが間に合わなかった。
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ってな具合です。
ちなみにお相手は、おばさんの運転する「ステップワゴン」Bの車両で、自分がAの車両。
要するに、こっちの完全な信号無視・・・・。
で、その「ステップワゴン」が突然現れた壁の正体、修理費120万オバー・・・ほんとに高価な壁だこと・・・。
でも、運転席側から突っ込んだからねぇ、あの時は本当にやっちゃったと思った・・・クラクション鳴りっぱなしで、誰も出てこないんだもん。
不思議なのは98年7月の現在になっても、未だに御上より何の御咎めも無いこと・・・・・はて?
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